高橋さんちのKOEDO低燃費生活

わが家エコハウスも危機から生まれました

わが家エコハウスも危機から生まれました

今日は、少し違った話をします。このところ、話をすれば新型コロナウイルス関係の話題ばかりだし、家で長時間過ごすという生活パターンの変化でストレスを感じている人も多いと思いますが、この危機の先にあるものについて少しでも共有できればうれしく思います。

僕はフリーライターなので、もともと家で過ごす時間は多かったので家にいること自体には慣れています。それでも、こんな状況なのに自分にできることが限られているため、気分が沈みそうになることがあります。普段家にいない方ならなおさらでしょう。同時に、そんな中でも今回の一連の出来事を「社会のあり方」を見つめ直す機会にしたいという気持ちもあります。

いま新型コロナの流行とともに、日本で様々な問題が起こっています。

例えば、政府の危機対応能力の欠如や、脆弱な医療体制や医療・介護の現場へのしわ寄せ、低所得層への無策、女性や子ども、外国人や難民を取り巻く環境の悪化など、挙げればきりがありません。

ただ、これらのほとんどは今回の問題で突然起きたわけではありません。ぎりぎりいっぱいでかろうじて保たれていた状態だったのが、新たに大きな問題がやってきたために、人々の生活や生命の危機に直結してしまったのです。すでにコップは水が溢れそうな状態でした。表面張力でなんとかこぼれずにいたものの、そこに水滴がどんどん落とされる。そんな状態でしょうか?

それでも、これまでも頑張ってくれていた民間組織は、次々と社会的弱者への緊急支援やケアを始めています。これは本当に頭の下がることで、僕たちも極めて微力ながら、できるだけサポートしていきたいと思っています。

一方で、迅速な対応が求められる重要な取り組みのほとんどを、このような民間の組織や人々が政府からのサポートがほとんどない中で、献身的に担わざるをえない現状を見ると、本来は動かなければいけない政治がほとんど機能していないという問題も感じてしまうのですが……。

いまは目の前にある命を守ること、人々が生活を維持できるようにすることに全力を挙げるべきなのは間違いありません。その上で、新型コロナの問題は、終息したとしても人々の暮らしや社会のあり方に大きな影響を与えます。

つまり、良くも悪くも今回のことは世界を大きく変える転換点になるはずです。具体的にどのような変化が起こるのかはまだわかりませんが、悪い変化ばかりではなく、良い変化をもたらす可能性だってあるはずです。

世界では、すでにポストコロナ時代を見据えた展開が始まっている地域もあります。

例えばデンマークでは、コロナ以前に戻るだけでなく、よりより良い社会を実現しようという議論がされているようです。コロナ問題により増加した失業者対策として、再生可能エネルギー産業や住宅の省エネ改修、電気自動車、公共交通の充実などへの公共投資を増やそうというのです。

それは失業者救済だけでなく気候変動対策にもなっています。こうした議論が進んでいく背景には、デンマークがCO2排出量を削減する非常に高い目標値を掲げてきたことも関係しています。

日本では、まだとてもそのような議論をする雰囲気ではありません。でも、色々な友人たちとオンラインで話しているいま、この危機を乗り越えた先には、個人レベルからでも、小さなグループレベルでも、以前とは違ったことがクリエイティブに実現できる可能性が増えてくる予感もしています。

「ただじっと止まって我慢」するだけではなく、発想を切り替えて「この状況を生き抜く方法」「その後を生き抜く方法」を模索することが大事なのかもしれません。

実は僕たちが住んでいるエコハウスも、東日本大震災と原発事故という危機がきっかけで生まれました。

我が家を建てたのは、埼玉県日高市の齋賀設計工務という、言ってしまえば地方のごく普通の工務店です。それが、いまでは世界でもトップレベルの高性能なエコハウスを建てるようになっています。

齋賀設計工務の2代目社長となった齋賀賢太郎さんは、震災が起きた時にはまだ専務で年齢も30歳前後でしたが、計画停電などを体験したことで、初めて「日本には安全な自前のエネルギーがない」ことを痛感します。

それまではよくある普通の住宅を建ててきましたが、根本から家づくりを見直す必要を感じて勉強するうちに、当時立ち上がったばかりの「ドイツに学んだエコハウスを日本にも広げよう」というグループと出会います。齋賀さんはそこで、必要なエネルギーを減らしながら、より快適な暮らしを実現できる家がつくれると知りました。

齋賀さんは、冬のドイツも訪問して、窓際でも寒くない、家中どこにいっても暖かい家を体感し驚きます。そして何よりも、それが当たり前の社会であることに、衝撃を受けたと言います。

子どものアレルギーを低減する家に対する、個人的な強い想いもありました。こうして齋賀さんの会社の「家づくり」はすっかり変わり、2013年には埼玉県川越市に初のエコハウスのモデルハウスを建てました(齋賀さんについて詳しくはこちら)。

そして、不思議なことに、それがいまではわが家となっています。たまたまそのモデルハウスの取材に来た僕たちが、この家に住むようになった経緯はこちらです。

モデルハウスが建った2013年当時はもちろん、僕らが住み始めた2017年当時も含めて、こんな性能のエコハウスは世の中にほとんどありませんでした。

でもいまでは、住宅産業の中で「高気密・高断熱」というコンセプトは特殊なものではなくなってきました(ここまでの性能を追求している会社はまだ少ないですが)。

少なくとも、住宅メーカーや工務店が家の性能のことを考えることは当たり前になってきていますし、家を買う一般の人たちもそうしたことを気にするようになってきています。そのあたりは、3.11の危機を乗り越えた社会で変わった常識の1つではないでしょうか。

家だけではありません。例えば震災を境に、行政のハザードマップが見直され、整備されるようになりました。

創エネについてもそうです。3.11をきっかけに、地域や人々が主体となった自然エネルギーの取り組み(いわゆる「ご当地電力」)も誕生してきました。僕はそうした動きを取材し、伝えるようになり、それが「おだやかな革命」(渡辺智史監督)というドキュメンタリー映画の製作にもつながりました。

そして、新規の原発はほとんど作ることができなくなりました。災害への対応やエネルギー問題への向き合い方などは、この社会はまだまだ不十分ですが、それでもあの時を境に変化が生まれたことは確かです。

「ピンチはチャンス」という言葉があります。

言葉でいうほど簡単に乗り切れるピンチはそうそうありませんが、危機こそ今までのあり方を見直す、という意味ではその通りではないでしょうか。

危機自体はない方がいいに決まっています。でも危機は何らかの形で必ずやってきます。そうであれば、それまでの課題を転換する好機にしたいですよね。

個人レベルから、中小企業、地域レベル、自治体や国、それぞれの組織で、それぞれができることがきっとあると思います。その動きのいくつかはひょっとするとコロナ後の世界のスタンダードになっていくかもしれません。

しばらくは辛抱が必要なときが続きますが、そんなことも考えながら、人と人とが支えあって、クリエイティブな方向で、みんなで危機を乗り越えていけたらいいなと思っています。

どうもありがとうございました。

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